弐段合格 …… 藤本 明 (27歳 会社員)

私が空手と出会ったのはまだ幼稚園の頃でした。母の尻をサンドバッグにするほどやんちゃだった私に「そんなに元気が有り余っているなら空手でもやりなさい」と 勧められたのがきっかけでした。
それから約20年余り.楽しいことも辛いことも沢山ありましたが、2015年12月ようやく弐段を取得するに至りました。
社会人になり時間の制約が多い中、やるなら今年しかないと腹を括り.阿部先生に弐段を取ると宣言して1年間空手とトレ-ニング漬けの日々を送り.秋の東京都大会では 組手準優勝の代償元々持っていた腰の爆弾が爆発し、それを引きずったまま昇段審査当日でも再発するなど大変ではありましたが、周りで支えてくれた方々のおかげで なんとか合格できました。
私にとって空手は自分を構成する一部であり、生活の一部です。
これからも修行を続け、より高みをめざしていきます。

2015年12月6日

藤本 明 黒帯(弐段)への道

  2010.3.29  日本空手協会下北沢支部入会   22歳

1級 2010.8.30 21回   5ヶ月  
初段 2010.12.5 16回 計37回 10年10ヶ月  
  2010     1回  
  2011     13.5回  
  2012     6.5回  
  2013     1回  
  2014     21回  
弐段 2015.12.6 65.5回 計108回 5年 弐段合格

黒帯を頂いて …… 滝澤 健 (13歳 中学2年生)

 今回、空手を始めてから約8年たち、ついに目標であった黒帯をいただくことになりました。
僕をきたえてくださった先生や道場の先輩達のおかげです。
 僕は、失礼ながら最初は空手をなめていました。しかし何回も通っているうちにいつの間にかとても楽しいものへと変化していきました。昔は他にもいろいろと 習い事をやっていたのですが、まだ今もやっているものは空手しかありません。それほど僕にとって大事なのです。
 先日、黒帯を受け取った時に先生から、「ここからが本番だ」ということをうかがいました。正にその通りだと思います。今回頂いた黒帯は中間地点、もっと自分の技 というものをこれからも磨いていきたいと思います。

2015年12月6日

滝澤 健  黒帯への道

  2007.2.17入会(4歳11カ月)

9級 2007.12/13 31回   10ヶ月  
8級 2008.8/30 32回   1年6ヶ月 1年生
7級 2008.12/13 22回   1年10ヶ月  
6級 2009.4/25 21回   2年2ヶ月 2年生
仮5級 2009.8/29 30回   2年6ヶ月  
5級 2009.12/19 23回   2年10ヶ月  
仮4級 2010.4/24 21回   3年2ヶ月 3年生
4級 2010.8/28 21回   3年6ヶ月  
仮3級 2010.12/18 18回   3年10ヶ月  
3級 2011.4/23 21回   4年2ヶ月 4年生
仮2級 2011.8/27 22回   4年6ヶ月  
2級 2012.4/21 22回   5年2ヶ月 5年生
  2012.4/22-12/8 16回
  2013.3/16 6回 本部合宿参加 2回
    以降 受験の為約1年休み
仮1級 2014.4/26 46回   7年2ヶ月 中学1年
1級 2015.4/25 34.5回   8年2ヶ月 中学2年
初段 2015.12/6    26回 計389.5回 8年9ヶ月  

弐段取得への道のり …… 千葉 理史 (40歳 会社員)

2015年12月5日に日本空手協会 2段を取得しました。
取得するにあたっては、いろいろな出来事がありました。いま思えば、2段を取得するための準備だったのかな、と思います。

まず2段の審査を受けるにあたっては、自分の中での2段のイメージがありました。そのイメージには、自由組手の試合で実績を残すことがあり、初段だったころは なかなか実績を残すことができない状態でした。You Tubeや試合時の練習、動きを見て練習し、1回戦は勝つことができ始め、そして5年ほどまえに出場した秋の東京都大会での 自由組手でベスト8まで進むことができ実績を残すことができた、と自分の中ではありましたので、そのころから2段の審査を受ける考えが出てきました。

それが4年ほど前。審査を受けようかと思った時、仕事で6か月間愛知県名古屋市と豊田市へ長期出張。週1回、2週に1回くらいで関東へ戻ってこられたものの、練習ができない 状態でした。このころは生活面でいかに空手が大きい割合で占めていたのを実感しました。それは体力面の低下でした。運動しない、マンスリーマンションでの生活でご飯の 量が必然と減り、スキーに行ったときや久しぶりの練習でへとへとになっていたことで実感しました。そんな経験から、空手が自分の人生で大きくかかわっていることを改めて 認識した時期でもありました。

長期出張も終わり、関東へ戻ってきましたが、今度は仕事の内容が変わり、勤務時間が9:30-0:00、1週間に1回くらいの割合での徹夜による長時間勤務が10か月間続きました。 週1で練習できていたものの、平日と日曜出社も重なっていたため、この時期も審査を受けるのが無理な状態。しかしこの頃は、空手の練習をしていたことで、長時間勤務にも 関わらず、体調面ではいたて健康。睡眠不足はありましたが、日々仕事をこなすことができていました。運動ができていることで体力面に不安はなく、組手練習では 1対1なので、頼れるのは自分だけ。そのおかげか精神的なプレッシャーにも耐えられていた気がします。

そして2年前に今の職場へ転職し、以前在籍した職場、業務ということもあり、忙しい状態はありましたが、なんとか週2回行ける環境でした。1年経過して翌年に審査を受ける 決意をしたものの、阿部先生からは審査を受けるにはまだまだ身体が固い。組手ももちろん大事なので下北道場だけでなく芳賀先生の道場へ行って、練習してきなさい、 と指摘を受けました。
なんとか審査を受ける許可を受けたものの結果は不合格。ただ、組手は合格だったので自分の中ではなんとも言えない精神状態でした。ただ、組手は合格でしたので芳賀先生 および練習に付き合って頂いた二子玉川道場の先生方、道場生、そして一緒に出稽古した関澤さん、宮代さんには報うことができたと思います。

今年は不合格の要素となった身体の柔軟性を軸として練習をしてきました。なるべく毎日、歯を磨きながら朝夜に開脚。土曜の基本練習後では前、横と足上げをして開脚を 継続してきました。まだまだ固い状態ではありますが、身体が運動によって熱くなれば脚も頭まであがるようになりました。今年の9月からは会社の組織変更により、 チームリーダー(マネージャ)となり、業務もかなり忙しい状態となりましたが、柔軟だけは遅い時間に帰宅してもできたので、継続することができました。 そして2015年12月5日に再審査を受け、移動基本と形をおこない、2段を取得することができました。

合格にあたっては阿部先生に移動基本、形と全般的に指導して頂き、柔軟では心平くんに協力してもらい、自由組手では主に横田さん、藤本さん、宮代さん、関澤さん、 渡辺さんに協力して頂き、そして形では広瀬さんにアドバイスをしてもらったりと多くの方々に協力して頂いたことで合格できたと思います。この場を借りて、感謝を お伝えしようと思います。
ありがとうございました。

今後も健康維持等で空手を続けていきますので、ご指導よろしくお願い申し上げます。

千葉 理史 黒帯(弐段)への道

  1998.11.19  日本空手協会下北沢支部入会   23歳

初段 2003.9.7 計249.5回 5年1ヶ月  
  2003.12     4.5回  
  2004     5.5回  
  2005     37回  
  2006     38.5回  
  2007     25回  
  2008     20.5回  
  2009     26.5回  
  2010     30回  
  2011     36回  
  2012     36.5回  
2013     53回  
  2014.12.7 >56回 計369回 11年4ヶ月 弐段不合格
弐段 2015.12.6 54回 計423回 12年4ヶ月 弐段合格

初段を取得して …… 天野 美香子 (27歳 会社員)

 「空手=瓦割り」、くらいの知識しか無かった私が初めて空手に出会ったのは、中学生の時でした。漠然と武道に興味があったものの、何も知らずに、 空手なら道着があれば手軽に始められると、そんな安易な動機で始めました。
高校生の時、下北沢に引っ越した際に、母親が下北沢支部を見つけてくれたことが入会するきっかけでした。
 見学に行った時に、日本空手協会の空手を見て、これが本当の空手だと衝撃を受けました。高校生の自分にとって、大人の方々と練習をするのは、とても新鮮なことでもあり、 あの時通うことができたのも、いつもみなさんが親切に接してくださったからです。
しかし空手が楽しかったけど、大学受験を口実にいつしか稽古に行かなくなりました。大学に入れば、学業や部活やバイトで毎日めまぐるしく、その時は空手を習っていたこと 過去のことで、もう二度と習うことはないと思っていました。そんな私が、再び空手を習いたいと思ったのは社会人になってからでした。
 仕事だけの毎日、心身ともにこのままではよくないと思い、何か始めたいと思いました。その時、中途半端に終わってしまった空手をもう一度ちゃんと習いたいと 思い立ちまた。
再び習うなら、家から下北沢まで1時間以上かかりますが、近所の道場を探すという考えは全くなく、もう一度阿部先生に習いたいと思いました。勇気を出して阿部先生に連 し、道場に行った時に、前に通っていたように道場の香りがして、ふと記憶が蘇りました。その時、自分のことなんてもう忘れてしまっていると思っていましたが、 阿部先生や校の時にお世話になっていた先輩方が覚えて下さっていたことが、とてもうれしかったです。
自分以外は茶帯や黒帯の形ばかりで、何一つ空手の名前や動きを忘れてしまった自分は稽古についていくのに精一杯でした。帯の色が変わるにつれて、どうしたら先輩方のよう 力強くできるのか何度も考えました。
 空手はやればやる程課題が出てきて、だれでも一生完璧にすることができないものだと思います。だからこそ、自分では気がつかなかったことを教えていただいてできる ようにる楽しさがあります。何度もやった形でも毎回する度に新しい発見があります。
 初段を取得するまで、つくづく自分に空手は向いていないし、早く辞めた方いいと何度も悩みました。それでも今まで通うことができたのは、空手が好きだし、 なにより阿部先はじめ下北沢支部のみなさんが好きだから諦めずに続けることができました。
阿部先生、先輩方のおかげでなんとか黒帯をいただいた今、新品の帯が硬く馴染まないように、自分にはまだまだ黒帯が似合いません。これからもっと練習して、 たくさんのこを学びたいです。
今まで本当にありがとうございました。今後ともご指導の程どうぞよろしくお願い致します。

天野 美香子  黒帯への道

  2005.2.21  日本空手協会下北沢支部入会   16歳

仮7級 2005.8.27 31回   6ヵ月  
仮6級 2005.12.17 21回   10カ月  
2006.5.13 14回   1年3月  

  2012.3.1 再入会

6級 2012.8.25 24回   1年8ヶ月  
仮5級 2012.12.17 17回   2年  
5級 2013.8.31 33回   2年8ヶ月  
仮4級 2013.12.16 18.5回   3年  
4級 2014.4.28 22回   3年4ヶ月  
3級 2014.8.30 22.5回   3年8ヶ月  
2級 2014.12.15 20.5回   4年  
1級 2015.4.25 26回   4年4ヶ月  
2015.7.19 20回 計269.5回 4年7ヶ月 (不合格)
初段 2015.12.6 32回 計301.5回 4年11カ月 (合格)

峯村賢志物語 …… 峯村 賢志 (13歳 中学2年生)

僕が初めて空手やったのは久我山会館というところで親に薦められはじめました。
その頃はまだ3歳で何も考えずに空手をやっていました。
そしてお父さんがメキシコへと転勤になり向こうでも空手をやることになりました。
そして緑帯までなることができました。
そして日本に帰ってきました。
ぼくは黒帯をとるまでやめないと決めていたので下北沢支部で空手を続けることになりました。
向こうでは人数も多くあまり直されなかったため基礎ができていませんでした。
そのためここにきて白帯に直されました。
その時僕はがっかりしましたが今ではとてもためになったと思っています。
僕はそのため紫帯になるまで真剣に空手をやっていませんでした。
しかし紫帯になったときこのままではいけないと思い真剣にやるようになりました。
そして一級になりました。
そこから道場のみなさんや父に色々教えてもらい昇段審査に合格しやっと黒帯になることができました。
ここまで来られたのは道場の皆さんと家族のおかげです。
これからもがんばっていきたいと思います。
ありがとうございました。

峯村 賢志  黒帯への道

2005.5月 琉球少林流空手道 久我山支部入会(稽古は週1回)
2005.10月末まで同派の道場で稽古(その後メキシコへ赴任)
2007.2月 松濤館メキシコ支部に入会(週1~2回稽古)
2007.10.7 8級進級試験合格
2008.4.20 7級進級試験合格
2009.5.15 6級進級試験合格
2009.9月末に日本に帰国

  2009.11.21  日本空手協会下北沢支部入会   8歳

8級 2010.4.24 33.5回   3年3ヶ月  
仮7級 2010.8.30 28.5回   3年7ヶ月  
7級 2011.4.23 47.5回   4年3ヶ月  
仮6級 2011.12.17 50回   4年11ヶ月  
6級 2012.4.21 25回   5年3ヶ月  
仮5級 2012.8.25 29回   5年7ヶ月  
5級 2012.12.15 28回   5年11ヶ月  
仮4級 2013.4.27 31回   6年3ヶ月  
4級 2013.8.31 23.5回   6年7ヶ月  
3級 2013.12.14 25回   6年11ヶ月  
仮2級 2014.4.26 34回   7年3ヶ月  
仮1級 2014.8.30 47回   7年7ヶ月  
1級 2014.12.13 >34回   7年11ヶ月  
初段 2015.3.29 18回 計470回 8年2か月

初段合格エッセイ …… 染矢 将和 
(50歳 大学准教授)

昇段試験を終了し初段を拝受した。他流派の癖がなかなか抜けず、他の道場であればとうの昔に破門されていたであろう自分を長い間道場に置いて頂だき、 辛抱強くご指導いただいた阿部先生に感謝いたします。阿部道場の自由な空気と寛容さがなければ、自分はここまで来られなかったと思います。 また、長い間、取り面倒を見ていただいた諸先輩方及び昇段試験に来ていただいた先輩方に感謝致します。有難うございました。

空手を始めたのは、20年近く前に30歳を過ぎて入った大学院の雰囲気に、生まれが粗野な自分は違和感を覚えたことがきっかけでした。最初は体が硬く、 回し蹴りがせいぜい中段までしか届きませんでした。そこで、柔軟をするようになりました。松濤館は、その後移ったアメリカのワシントンD.Cの職場の Karate Clubで始めました。教える先生も職員であったため、長期出張等で練習が不定期であったことから社外に練習の場を求めるようになりました。 テッコンドウ・フルコンと引っ越しの度に道場は変わったが、緊張を強いる職場環境の中で、頭の中を空にできる組手の時間は、貴重でした。 相手と対峙した際の全身に漲る緊張感が心地よく、蹴りや突き、捌きの動きの中で、それまで経年の中で身に着けてきた常識という衣が一枚一枚剥がれ 落ちていくような自由を感じ、練習が楽しみなりました。

阿部道場はその後日本に帰ってきて先に通っていた女房に紹介され、体験練習で、立ち稽古や移動稽古の基本を大切にするいい道場だと思い入門を決めました。 最初の頃は、これまで練習してきた様々な流派の癖が抜けず、阿部先生をはじめ諸先輩方にはご苦労をお掛けしたし、さぞ御不快にさせたのではないかと 思います。お詫び申し上げます。松濤館の流儀に合わせなければいけないとは分かっているものの、癖の一つ一つはペルー人の先生やイラン人の先生、 ガーナ人の先生といった過去の先生方との練習で身に着いたものであり、それらの癖に愛着さえ感じていたため、スイッチを切り替えるようにはいき ませんでしたし、機械的に切り替えたくもありませんでした。ただ、意識的に変えなくても、練習していればいつの日か自ずと松濤館スタイルになって いるだろうと信じて続けました。それから7年、仕事優先と決め、忙しい時は、時間があっても空手には行かないようにしてきたこともあり、暫く道場から 足が遠ざかった期間もありましたが、女房の美恵子になだめられ、すかされながら道場に連れてきてもらったおかげで、今まで何とか続けて来られました。 美恵子には感謝しています。はじめは、組手が楽しみで始めた空手でしたが、今では、週に1,2回、女房と一緒に空手に来て、仲間と汗を流すことが無上の 喜びとなりました。上段蹴りの歪度が毎年2センチほど小さくなってきているものの、これからも、これまでと同じように精進していきたいと思います。

染矢将和  黒帯への道

1996年10月 US大山空手名古屋支部入会
緑帯まで進むが大学院に集中するため休会
1998年6月~2007年3月 勤務先(米国)の松濤館空手のKarate Club入会
3級まで進んだが日本帰国で退会
1998年秋~1999年秋 近くのテッコンドウ道場に通う。
中級まで進むが道場の破産により停止
2000年夏~2003年夏 極真会館スタイルの先生の道場に入会
遠くにあったこともあり、あまり通えず(緑帯まで取得)、引っ越しのため退会
2005年秋~2006年春 円心空手の道場に通う。松濤館道場への一本化のため退会。
2005年秋~2007年3月 松濤館の道場に通う。緑帯まで進むものの日本帰国で退会。

  2007.8.4  日本空手協会下北沢支部入会   44歳

6級 2007.8.25 3回   1ヶ月  
仮5級 2009.12.19 29回   2年4ヶ月  
5級 2010.4.24 21回   2年9ヶ月  
仮4級 2011.4.23 29回   3年9ヶ月  
4級 2011.8.27 20.5回   4年1ヶ月  
仮3級 2011.12.17 20回   4年5ヶ月  
3級 2012.12.15 56回   5年5ヶ月  
仮2級 2013.8.31 38.5回   6年1ヶ月  
仮1級 2013.12.14 19.5回   6年5ヶ月  
1級 2014.4.26 22回   6年9ヶ月  
初段 2014.7.20 18回 計276.5回 7年(+10年10ヵ月他団体)

黒帯への道 …… 峯村直志 (45歳 会社員)

 「お父さんも一緒にどうですか」。運動といえば野球やテニスなど球技が中心で、空手はおろか武道とは縁遠かった私ですが、 子供に武道をやらせたいと考え、近所の公民館でやっていた空手教室の門を叩いたのが空手との出会いでした。今から9年前の話です。 子供だけやらせるつもりで訪れた教室で、師範の方からかけられたのが冒頭の言葉です。その教室には週に1回の割合で2-3ヶ月通いましたが、 ちょうど転勤が決まり、その後メキシコに赴任したのでした。
 メキシコでも空手は人気があり、街で空手道場の看板を見かけることも少なくありません。メキシコで通い始めたスポーツクラブ内の一角に 空手道場があることを知り、せっかく始めた空手を続けてみようと考え、子供とともに道場を訪ねました。そこは松涛館という流派の空手道場で、 場内の正面には日本の国旗とともに、空手道の創始者と言われる船越義珍先生の写真が飾られ、その横にはスペイン語に訳された「道場訓」が 掲げられていました。その後分かるのですが、日本空手協会の道場訓と内容は同じものです。
 メキシコでも型の名前は勿論、技の名称もすべて日本語が使われます。「ソトウケ」とか「キバダチ」とか「シュトーウケ」とか、怪しい発音ながら、 日本人でも空手をやっている人でないと知らないような単語を皆覚えて稽古をしています。「キザミヅキ」とはどういう意味だとか、「エンピ」とは どういう意味かなど聞かれ、答えに窮したこともありました。 一方、長年やっている人は空手の歴史についても案外勉強していて、中国から武術が沖縄に伝わって首里手になり空手が誕生したことや、薩摩に武器の 所持を禁止された琉球の人たちが武器なしでも戦えるように空手を編み出したとか(これには諸説ありますが)、また、松涛館の松涛は、歌人でもあった 船越義珍先生の雅号が松涛であったことから来ているとか、空手にまつわる話をメキシコ人から教えられ、不思議な気分を味わいました。 空手が世界に広まり、その伝統が継承され人々から愛されていることに、空手を伝えてきた先人達の偉大さを見た思いでした。同時に、日本人としての 誇りを感じることができました。メキシコでは3年近く稽古を続け、茶帯まで進級したのでした。
 そして日本に帰国。空手を続けることは、私の最優先事項でした。ネットで検索した結果、日本空手協会下北沢支部の存在を知り、その門を叩いたのでした。 道場の皆さんは礼儀正しく親切で、雰囲気もよく、また、通勤経路上にあって仕事をしながらでも通えそうだと思い入会しました。正直、黒帯は間近だと 思っていました。しかし、ここから、黒帯への長く険しい旅路が始まったのでした。
 体が硬い上に、変な癖がついていた私は、勢いにまかせるだけで技を正確に出すことができておらず、基本が全くできていないことを思い知らされました。 阿部先生、基本を一から徹底的に正していただきました。無駄のない合理的な動きから繰り出される技は美しく、かつ力強いものであることを学びました。
 昇級審査も決して易しいものではありませんでした。審査で一段階上がることができず、半階級ずつあがるのがやっとでした。後から入会した人にも 追い越され、正直、あきらめかけた時もありました。そうした中、道場の先輩や仲間からアドバイスをいただいたほか、「あわてず自分のペースでゆっくり やれば良い」という言葉もかけてもらい、稽古を続けることができました。「黒帯を取得したい」との思いは、以前にも増して日に日に強くなっていきました。
 体力の衰えとの戦いでもありました。やりすぎると体のキレが悪くなりますし、やらないと体が硬くなって足が上がらなくなる。それでも、続けていれば 徐々に改善されていくものです。今でも下手ですが、まともにできなかった蹴込みも、今ではそれなりにできる様になったと思います。
組み手についても、道場の先輩方から正しい組み手を教えていただきました。メキシコでは、血走った目で容赦なく当ててくる輩も多かったので、 自ずと「いかに当たらないようにするか」という組み手が身についてしまい、自分から攻めることができませんでした。下北沢道場の先輩方は、正しく きれいな組み手を丁寧に教えてくれます。
 こうして4年と少し、下北沢道場で稽古をさせていただき、黒帯を取得することができました。自分が黒帯を巻ける日がくるとは、空手を始めた当初は 思ってもみませんでしたが、継続して物事に取り組めば、いつか必ず達成できるのだと改めて実感しました。現在茶帯の息子にも、是非黒帯を取得してほしい と願っています。
 黒帯をつけると、その重厚さからか身が引き締まります。少し上手くなったような気もしますし、その分責任も感じます。有段者の名に恥じぬよう、 これからも鍛錬を重ねて精進し、生涯、空手を続けていきたいと思います。

峯村 直志  黒帯への道

2005.5月 琉球少林流空手道 久我山支部入会(稽古は週1回)
2005.9.24 7級進級試験合格
2005.10月末まで同派の道場で稽古(その後メキシコへ赴任)
2007.2月 松濤館メキシコ支部に入会(週2回稽古)
2007.5.26 6級進級試験合格
2007.10.7 5級進級試験合格 (2008年より週2~3回稽古)
2008.4.20 4級進級試験合格
2008.12.12 3級進級試験合格
2009.8.7 2級進級試験合格
2009.9月半ばまで稽古継続  2年7ヶ月  約3年
2009.9月末に日本に帰国

  2009.11.21  日本空手協会下北沢支部入会   41歳

6級 2010.4.24 27.5回   3年3ヶ月  
仮5級 2010.8.30 32回   3年7ヶ月  
5級 2011.4.23 44回   4年3ヶ月  
仮4級 2011.8.27 43回   4年7ヶ月  
4級 2011.12.17 22.5回   4年11ヶ月  
仮3級 2012.4.21 30回   5年3ヶ月  
3級 2012.8.25 36.5回   5年7ヶ月  
仮2級 2012.12.15 31.5回   5年11ヶ月  
2級 2013.4.27 23.5回   6年3ヶ月  
仮1級 2013.8.31 21回   6年7ヶ月  
1級 2013.12.14 19.5回   6年11ヶ月  
初段 2014.4.6 16.5回 計347.5回 7年2ヶ月

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