初段に合格して …… 中野 温未 (36歳 会社員)

今から4年半前の2008年、某証券会社のIT部署で働いていた私は、早番は午前7時から、遅番は午前11時からの2つのシフト体制で勤務していました。  元々早起きが苦手な私は自ら進んで遅番シフトを選び働いていました。残業も多かったため、遅番で出勤すると大体仕事が終わるのが22時くらい、 その後仕事帰りに外で夕食を済ませ、ついでに大好きなビールを飲み、終電近くで帰る、というような生活でした。そんな夜型不規則生活を数年続けた結果、 常に体がだるく、思考もネガティブになりがちで、やる気がなく、原因不明の体調不良が続いていました。そしてある5月の土曜日、身体のだるさだけではなく、 このやる気のない精神状態から脱却するには、ただの運動ではだめだ、精神も鍛えなくては!と思い立ちました。「精神を鍛える運動」、と思い浮かべたとき、 自分の中で、武道、かなと思いました。そして武道にも色々な種類がありますが、インスピレーションで「空手」が頭に浮かびました。そしてインターネットで、 当時住んでいた自宅近くの「下北沢」、そして「空手」というキーワードで検索し、JKA下北沢道場のHPにたどりつき稽古見学の申し込みをしました。 そして実際道場で稽古の様子を見学すると、HPで紹介されていた以上に雰囲気のよい道場で、阿部先生のもと、皆さんがきびきびと練習をされ、 また初めてみる形の練習で黒帯の先輩方がとてもかっこよく、ここだ!自分もやってみたい!と思い、見学後すぐに入会の申し込みをしました。

初めての稽古に参加した日は、練習後に体中がこれまでに無い筋肉痛になり、今までどれほど身体を動かしてこなかったのかを痛感しました。 稽古日は、月、木、土の週3回ですが、最初のうちは特に、2回連続稽古を休んでしまったりすると、せっかく習ったことを忘れてしまったり、 身体もすぐに戻って筋肉痛。。ということになり、週3回の稽古を休みたくない気持ちがどんどん強まりました。また、稽古の内容も毎回阿部先生が色々なバリエーションで 教えてくださるので楽しかったですし、昇級審査で合格し、帯の色が変わるたびにやる気もおきてきました。また、稽古に出たいという気持ちから、 仕事を早番にしてみたり、稽古に出たいという意識で仕事をすると無駄な残業も減り、仕事の効率もよくなり、夜型生活が改善されました。また週3で練習に出る生活を 続けていくうちに、空手を始める前は30%近くあった体脂肪がいつのまにか21,22%くらいまで減り、身体の調子もよくなり体力もつきました。 また、下北沢道場には子供から大人まで幅広い年齢層、海外からの方もいらっしゃり、道場生との交流もとてもいい刺激になります。仕事などでストレスをかかえて 一日を過ごしても、練習に集中すると頭も切り替わり、身体も動かしストレスも発散されます。また、基本動作、形、組手など習っていくうちに、どうして自分は みんなと同じ動作ができないのかなどを気にすることによって自分の身体に対する興味も増えました。

4年間で少しずつ昇級してゆき茶帯1級になり、とうとう昇段審査を受験させていただけることになりました。審査の前は、阿部先生が審査前日まで、 細かく形で私がいつもやってしまう癖や動作を中心に教えてくださいました。また、稽古の後は黒帯の先輩方が時間を割いていただき組手の強化練習なども してくださりました。そして2012年12月2日(日)、東京武道館で昇段試験を迎えました。試験当日はものすごく緊張しましたが、いつも一緒に練習をしてきた 佐藤さん、鹿島さん、七海さんも一緒に受験でしたので、いくらか緊張もとれました。また、道場の皆さんがたくさん応援にきてくださったので心強かったです。 形、基本、組手の順に審査を受けました。とにかく大きな失敗をしないように、あとは普段下北沢道場で習ってきたことを丁寧にやろうという気持ちで受けました。 そして阿部先生から合格の結果をきいたときには本当にうれしかったです。そして自分の名前の刺繍が入った黒帯をいただいたときには更にうれしくなりました。 体も硬く、形の順序や動作をなかなか覚えられない私が、まさか黒帯までたどりつけるとは、4年半阿部先生が基本から丁寧に教えてくださったおかげであり、 また、黒帯の先輩方が時間を割いて個別練習をしてくださり、道場生の皆さんにアドバイスいただいたおかげです。本当にありがとうございます!

空手を始める以前の自分と今の自分を比べると心身共に本当に健康になりました。4年半前下北沢道場で空手に出会っていなかったらおそらく今頃はメタボでネガティブな 仕事ばかりの退屈な生活を送っていたと思います。阿部先生、道場のみなさんのおかげで楽しみながら空手を続けることができています。黒帯取得は空手をはじめたときから 常に目標としてきたことですが、初段=スタートとしてこれからも基本に忠実な動作を心がけ、先輩方のような黒帯らしい黒帯になれるよう練習に励んでいきたいと 思います。阿部先生、道場の皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

中野 温未  黒帯への道

  2008.5.31  日本空手協会下北沢支部入会

8級 2008.8.30 24回   3ヶ月  
7級 2008.12.13 31回   7ヶ月  
6級 2009.4.25 37.5回   11ヶ月  
仮5級 2009.8.29 37回   1年3ヶ月  
5級 2009.12.19 36回   1年7ヶ月  
仮4級 2010.4.24 37回   1年11ヶ月  
4級 2010.8.28 37回   2年3ヶ月  
仮3級 2010.12.18 29回   2年7ヶ月  
3級 2011.4.23 29.5回   2年11ヶ月  
仮2級 2011.8.27 35回   3年3ヶ月  
2級 2011.12.17 21回   3年7ヶ月  
仮1級 2012.4.21 27回   3年11ヶ月  
1級 2012.8.25 32回   4年3ヶ月  
初段 2012.12.2 30回 計443回 4年6ヶ月

初段取得 …… 佐藤 朝昭 (48歳 会社員)

 42歳くらいから明らかに体の変調を感じるようになりました。お腹が出てきたりとかはそれ以前からありましたが(笑)、筋力が確実に衰えてきたのです。 このまま体力が低下して弱っていくのはまだ早い、と思った私はご他聞に漏れずスポーツジムに通おうとしたのですが、好きなときに通えるという一見便利そうな システムは、結局行かない、ということになるのは性格上目に見えていました。それと、スポーツジムでストイックに頑張るんだったら、同時に資格取得意欲を満たす ことができ、日本の伝統武道をも身に付けることができる空手がいい!と強く思うようになりました。結局やり始めたのは44歳の誕生日を迎えた月でしたが、 4歳から空手を始めた今年20歳になる息子が高体連の強豪校の空手部に進学した時期にその気持ちはピークを迎えました。息子の父兄としては長年空手には親しんで きましたが、アスリート空手の道に進んだ息子やその仲間たちを見て、「一度しかない人生、一生見る側で終わるのは勿体ない。俺もやろうかな、と思っているだけでは どんどん年を取るだけだ。」との気持ちも強くなっていったと記憶しています。

 これで気持ちは固まりましたが、ここで一つ問題がありました。それはほとんどの空手道場は学校の体育館や公民館のような場所を借りて運営しているので 時間が早いのです。 平日の夕方6時に稽古開始のようなカリキュラムではまず通えないので、インターネットで自宅と勤務先の途中に立地して、且つ時間が遅い道場は無いものかと探しました。 そうしたらあったのです日本空手協会下北沢支部が!阿部先生はご自宅に道場をお持ちなのでそれが可能なのです。都会では珍しいのです。フルコンタクトのような 新興空手には全く興味が無かった私は(関係者の皆さんすいません)、伝統空手、それも松濤館流最大組織の日本空手協会に以前から興味があったので即決でした。

 そして2012年12月2日、道場に通い始めて4年と3ヶ月で公益社団法人日本空手協会公認段=黒帯という”資格”を取得しました。仕事で夜遅くなったり、酒席があったり、 土曜日もしょっちゅうゴルフがあったりと、黒帯取得まで当初の予定の倍近く時間はかかりましたが、辛抱できずに途中で投げ出して結局黒帯まで辿り着かないか、 黒帯を取得したという結果を得ることができるか、精神面の戦いでもあったのです。

 最後に、久しぶりに会う人からは、「痩せましたね!」とか「絞まりましたね!」とよく言われます。体重は2~3キロしか変わりませんが、ベルトの穴は2つ変わりました。 それと若者に負けない体力も取り戻しました。道場では来る日も来る日も同じ基本の練習ですが、そのハードな基本練習こそが50近くなってもみなぎるエネルギーを 生成してくれているのだと思います。そしてそのおかげで仕事の面でも好調です!?嘘だと思ったらあなたも始めてみませんか?

佐藤 朝昭  黒帯への道

  2008.8.28  日本空手協会下北沢支部入会

7,8級 2008.12.13 29回   4ヶ月  
6級 2009.4.25 32回   8ヶ月  
仮5級 2009.8.29 23回   1年  
5級 2009.12.19 29回   1年4ヶ月  
仮4級 2010.4.24 22回   1年8ヶ月
4級 2010.8.28 21回   2年  
仮3級 2010.12.18 22.5回   2年4ヶ月  
3級 2011.4.23 22回   2年8ヶ月  
仮2級 2011.8.27 29回   3年  
2級 2011.12.17 22.5回   3年4ヶ月  
仮1級 2012.4.21 20.5回   3年8ヶ月  
1級 2012.8.25 30回   4年  
初段 2012.12.2 19回 計321.5回 4年3ヶ月

初段取得までの「道」のり …… 鹿島 経生 (39歳 会社員)

2010年の1月に再入会以来、阿部先生はじめ、諸先輩、道場生のみなさま、家族、様々な人に支えられこのたび、初段を取得することができました。
大きな病気や怪我などなく、沢山の稽古を積むことができ、みなさまには本当にこころからお礼をもうしあげます。

私が下北沢支部に最初に入門しましたのは2003年12月。

入会したものの4月の昇級審査を前に、空手とは関係のない理由で、長い期間、稽古を空けることとなりました。
半ば、「退会」という形で6年以上が経過し、意を決めて再入会をするまでには心の葛藤が何回もありました。
一方で、「いつかまた空手を再開したい」という思いは、実は常にあって
いつでも再開できるように水泳やジム通いをしていました。

再開の決め手となったのは、再入会前の10月。
父親の法要の途中で立ち寄った伊勢神宮で神前に手を合わせようとした時のこと。
目の前でお参りしていたゴツイおじさんのズボンのポケットから
「日本空手協会」の携帯ストラップがぶら下がっているのが見えたとき。。。
ああこれは、「ソロソロハジメナサイ」と神様からお告げが来たのだなと意を決したのが
再入会のきっかけでした。

先生のお許しをいただき、再入会をしたのは2010年1月。
最初の稽古の時は、気持ちが高ぶり、雲の上で稽古しているような感じだったことを今でも覚えています。

「初段」をいただくまでに通った稽古の回数は362回。
連日、重い道着を洗濯し続けて、全自動洗濯機は、とうとう「全自動」でなくなりました。

改めて道場に通うにあたって心がけたことは。。。

・決めた時間・曜日に参加するという大人が中々守れない常識を常に守ること。
・「サボリタイ」と思ったときは迷わず稽古に行く。
・「マダマダヤレル」と思ったときは稽古は無理せず休む。

結局、362回の稽古は不安、試行錯誤、模索の連続で、今思うと「一気に駆け抜けていった」というのが本音です。
周りから「アフター5ノタシナミダ」「スポーツハイイネ」と誤解されることに、後ろめたさを感じた時期もありました。
サラリーマンとしては年齢的に働き盛りで、会社に一番時間を注ぎこまなければならない時期と感じていたからです。

でも、その気持ちを一新させたのは、「東日本大震災」という大きな出来事でした。
ある偉いお坊さんが仰った「人生は冥土までの暇つぶし」という言葉を、その時に改めて噛み締めました。
人が何と言おうと、出席できる理由(成果)を一つずつ積み上げていけばいいのではないかと。

それからは、「木土月」の1日置きの稽古のサイクルに応じて、仕事の組み立てや効率を随分工夫しました。
空手以外のことを稽古中考えていても、道場の中では事実、何も解決はしません。
あたりまえのことですが、稽古に一層集中しました。
「逆に何も考えなくてよい開放感」が、自分の心を見つめなおす大切な時間になりました。
(道場のみなさま。いつもフレンドリーでなくてごめんなさい。)

稽古を重ねる中では意識したことは。。。

・「基本」の反復に対してどこまで高い意識を持つか。
・自分の持っているセンスを腐らせずに、いかに努力する能力を高めるか。
・「力んでもスピードやキレは生まれない。」

これらは、経験や技術の差に関わらず、誰でも持てるものだと実感することができました。

又、「自分は何故、稽古に通うのか。」「なぜ空手をやるのか。」「経験や技術をどう活かしていきたいか。」
正直、答えは一杯ありすぎて、こたえきれません。
稽古を重ねる中で、はじめた動機や目的は、その時々によって様々に変化しました。
稽古をする場が「道場」と呼ばれる所以だと思います。
初段の取得は一つの区切りであり、稽古は通いつづけなければならないと思いました。

昇段審査を受験するために、年3回ある昇級審査に臨みました。
最初は、先輩方と同じようにエスカレーターで上っていくぞと、意を決して臨んでいく有様でした。
上級になるにつれ、「自分のために一番ベストな選択」を先生が、審査の都度されているのだなと感じると
落ち着いて審査の受ける気持ちが出来たと思います。
一方、求められる技術は、上級に上がれば上がるほどシンプル。
でも、それを克服するには、「基本に対する高い意識」が必要だと感ずることが多くなりました。

様々なことを稽古で実感しながら2012年12月。「昇段審査会」に臨みました。

休日の早朝から応援に駆けつけていただいた道場のみなさま。とても心強かったです。
でも申し訳ありません。
型・基本・組手の順に、自分が何をどのようにやったのか。上手くくできたのか。出来なかったのか。
どれだけ振り返っても振り返っても「記憶」がありません。
「無意識の中の意識」で、稽古でやったことがそのまま結果に出ていたと思います。
本当に不思議な体験でした。

審査日の翌日。
先生からいただいた黒帯を締めて初めての稽古。
堅くて厚くて重い帯を締め、基本稽古が終わったときに、「武士」の端くれにやっとなれたと実感しました。
腹の奥から「気」が湧いてくる感じ。この感覚は絶対に忘れてはいけないと思いました。

稽古の帰り道。
子どもの頃、最初に通っていた空手道場を辞めたいと父親に漏らしたときのことを思い出しました。
辞めたいと言ったときに、いつも怖かった父は「そうか。分かった。」と静かに許してくれました。
黒帯まで稽古を続けると約束したわけでもなかったですが
理由があったにせよ中途半端に辞めたことをずっと後悔していました。
挽回しようと社会人から某流派の道場に通いはしたものの、途中で挫折も味わいました。

「そうか。分かった。」と静かに許した父親の真意。
伝えたかったのは、稽古を続ける辞めるの問題でなく、
自分でレールを敷いて回り道をしてでも目標に向かい、「自分で走っていく人生」の大切さだったのではと思います。

雨が降る空に向かって、心の中でこのように思い、手を合わせました。

「40歳前になって、親父や兄貴にやっと追いつくことができました。」
「努力した経験を通じて、世の中で必要とされる人間になるように、これからも頑張っていきます。」

(最後までお読みいただきありがとうございました。)

鹿島 経生  黒帯への道

  2003.12/1  日本空手協会下北沢支部入会
 12月3回 2004.1月2回 2月5回 3月3回 計13回
 4ヶ月 練習の過去あり ブランク5年10ヶ月
 2010.1.16再入会

仮6級 2010.4.24 36回   4ヶ月  
仮5級 2010.8.28 39.5回   8ヶ月  
仮4級 2010.12.18 38回   1年  
4級 2011.4.23 39回   1年4ヶ月  
3級 2011.8.27 52回   1年7ヶ月  
仮2級 2011.12.17 31回   1年11ヶ月  
2級 2012.4.21 43回   2年3ヶ月  
1級 2012.8.25 40回   2年7ヶ月  
初段 2012.12.2 32回 計364.5回 2年10ヶ月

強く優しく、空手は楽しい! …… 七海 剛 (45歳 会社員)

 空手を始めた動機はいくつかありますが、いざという時に大切な人を守りたい、というのが一番の理由です。一度始めたからには黒帯を取るまでは絶対に辞めたくない との思いから、自宅と職場に近くまた常設道場を条件に探したところ、下北沢支部が候補にあがりました。

 事前に連絡もせずに見学に行きましたが、 阿部先生は快く受け入れて下さり、その場で入門を決めました。その時に見た形は鉄騎初段でした。横一線に動く形で、シンプルだなという思いと同時になにか 奥深いものも感じました。「四年たったら黒帯取れますよ」と阿部先生は言われました。四年もかかるのかという思いの一方で、四年は続けて稽古しなさいと言われた様な 気持ちがしました。

 白帯を絞めて初めて道場に立ち、阿部先生から基本を一から丁寧に教わりました。入門前は簡単にできるだろうと思っていたのですが、一つ一つの技に原理原則があり、 その要求通りに体が動かず愕然としました。気持ちは20代ですが、実は運動をしていない40代です。初日に現実を思い知らされ、続けていけるのかと 不安になりました。

 週3回の稽古をこなし、3ヵ月たって初めて昇級審査を受験する事になりました。自分ではそこそこ出来たのではと思っていたのですが、審査直後に阿部先生から ため息交じりで「どうすれば、よくなるのかねぇ・・・」と言われ軽いショックを受けました。自分の自身の姿と言うのは自分では分からないものです。すこし心が 折れかけました。

 その後も稽古を重ね、阿部先生や先輩方のご指導もあり、なんとか緑帯に合格できました。その直後諸事情から8カ月ほど休会する事になりました。せっかく 積み上げた技や体力も落ちて復帰は無理かな、辞めようかなと弱気になった事もありましたが、やはり皆と稽古がしたいし、道場も懐かしく、なにより空手を続けたい という気持ちの方が強くなんとか復帰する事ができました。

 復帰後は体力回復と衰えた技を戻すのにとても苦労しました。特に足腰の筋力が落ちていて、激しい稽古に耐えるために保護用のスポーツスパッツなどを 着用したりしました。また休んでいる間に後輩にも追い抜かれる結果となりましたが、絶対に追い付き追い越してやると、いい意味で皆をライバル視しながら 必死に稽古しました。

 その後も継続して稽古して紫帯に合格しました。しかし、この頃から自分の技が伸びないと言うか、同じところをグルグル回っているような感覚に襲われました。 阿部先生からは常々「どうしたらいいか、自分で考えて」と稽古中によく言われている事を思い出し、人に教えてもらうだけでなく、自分で考えて稽古するようになりました。 どうして前足を開いて移動してはいけないのか、どうして脇を開いて突いてはいけないのか、どうして膝をかいこんで蹴るのか、自分で考えた事を道場で試行錯誤しました。 その甲斐あってか、茶帯を受験する頃には一皮むけたような気がしました。鉄騎初段を稽古するようになり、体の部位がいろいろと知覚できるようになり、 肩甲骨、胸椎、骨盤、股関節などの動きが知覚できるようになり、ほんの少しですが力の出し方を学べた気がしました。

 茶帯になってからは、やらなくてはいけない、やってはいけない事が頭では理解出来るのに、体の特定の部位がどうしても動かないという事実に悔しさで いっぱいになることが、しばしばありました。整体にこまめに通うなどもしましたが、一気によくなることはなく、今後も地道に調整するしかないと 今では思っています。

 そうこうしているうちに、昇段審査の日がやってきました。一級に合格してからは、普段通り稽古をこなして、自宅では半身正面の稽古を続けました。 普段通り落ち着いて審査項目をこなせば絶対に受かる、審査員の先生方々、どうぞ僕の技を見て下さい、という気持ちで臨みました。最初は形の審査です。 ゆっくりやり過ぎたかなという気持ちもありましたが、あせって雑になるよりはましと思い最後まで、それで通しました。審査が終わり、阿部先生から下北沢道場の 受験者は全員合格とのお話をいただき、自分の中で一区切りがついた気がしました。

 審査翌日の稽古の時に、阿部先生から真新しい黒帯と道着をいただきました。嬉しさよりも黒帯の重みと、これからが本当のスタートなんだという気持ちの方が強く、 なにやらとても緊張してしまいました。でもはやり、黒帯は嬉しく自宅でも締めたり、帯を手でほぐしたりもしました。

 入門から三年六カ月。長いようであっという間でした。空手は10級から始まります。黒帯は一段と言わずに初段といいます。その名のとおり、初心に帰り一から 稽古をしたいと思います。自分の稽古もそうですが、後輩へのアドバイスも自分を成長させると思いますし、きちんと技を示し、理屈を説明できなければいけないと 思っています。

 次の目標は二段です。遠い将来ですが、子供達に強さと優しさを空手を通じて教えられればいいな、という夢も描いています。漫然と稽古するのではなく、 常に目標を設定して稽古したいと考えています。先人達が築き上げた素晴らしい空手。この空手の技と精神を後世に伝える事が、私たちの義務であり、阿部先生への恩返し だと思っています。

阿部先生、先輩方、これからもご指導宜しくお願い致します。

七海 剛  黒帯への道

8級 2009.8.29 30.5回   3ヶ月  
7級 2009.12.19 39回 計69.5回 7ヶ月  
6級 2010.4.24 37回 計106.5回 11ヶ月  
5級 2011.4.23 32回 計138.5回 1年11ヶ月  
4級 2011.8.27 50.5回 計189回 2年3ヶ月  
3級 2011.12.17 33回 計222回 2年7ヶ月  
2級 2012.4.21 42回 計264回 2年11ヶ月  
1級 2012.8.25 42.5回 計306.5回 3年3ヶ月  
初段 2012.12.2 33回 総計339.5回 3年6ヶ月

初段に合格して …… 萩原 三恵子(41歳 看護士)

 空手との出会いは小学校5年生の時です。地域の子供を対象にしたスポーツクラブに入会したことがきっかけでした。選択制の種目の中から、本当は ミニバスケットボールがやりたかったのですが、人気があり既に定員一杯、剣道か空手なら空きがあると言われ「剣道より手軽そう」と空手を選びました。
ひょんなことから始めた空手でしたが、練習したことが蓄積されていくおもしろさがあり、すぐに好きになりました。しかし数年後、 クラブ自体が閉会したこともあり空手も辞めてしまいました。

 それから「いつかまた」と思いながら20数年。40歳になる年の2009年お正月、人生を折り返すにあたり何か始めようと思い立ちました。 色々と浮かんだなかで、ずっと中途半端な気持ちのままひっかかっていた空手をやろうと決め、自宅から近かった下北沢支部の阿部先生にメールを出しました。 久しぶりの空手は懐かしく、そしてやはり楽しかったのですが、長い間運動していなかった身体は重く硬く動かず。それでも続けるうちに、一回でも休むと次の稽古で 身体の動き方の違いが分かるようになっていきました。最初は趣味として無理せず適度に休んで、などと思っていたのですが、先生が出席を重視してくださること、 そして何より道場の皆さんと一緒に稽古するのが楽しくて、だんだんと「休みたくないな」という思いが強くなりました。
道場へ通うのが生活の一部になり、職場の人から「火・金・日の空手教室を探したら」と言われるくらい、稽古に通い始めました。

 そうするうちにあっと言う間に月日は経ち、とうとう昇段審査を受けるところまできました。審査当日はとにかく落ち着くことだけを心掛け、有難いことに道場の皆さんが 応援に来てくださったお蔭で、いつもの稽古に来たように安心し、心強く審査に臨めました。同じ受験者だった小学生の健くんが頑張っている姿にも励まされました。 そして、翌日の稽古で先生から黒帯をいただき、皆さんから「おめでとう!」と声をかけてもらって、「本当に終わったんだなぁ」と実感しホッとしました。 初めて締める黒帯は「しっかりやりなさい!」と言われているようにずっしり重く感じます。正直なところ、その辺に置いてあると誰かの忘れ物のように見えるし、 鏡に映る自分にも見慣れないし、先生に「黒帯」と呼ばれてもピンとこないし・・・とまだ私に全く馴染んでいません。「初段は空手の始まり」と先生がおっしゃったように、 また心新たに本当の意味で黒帯が自分のものになるよう頑張りたいと思います。

 最後になりましたが、振り返ると多くの方々に支えられていることを、改めて感謝しこの場をお借りして御礼申し上げます。
阿部先生、いつもきめ細やかな御指導をありがとうございます。先生は背中に目がついていると噂されるほど、全員に目を配り稽古をつけてくださいます。 いつも変わらずそこにある下北沢支部は私たち生徒のホームです。古い生徒さんにとってもそれは同じなんだろうなと思います。皆さん道場に寄ってくださったり、 近況報告の手紙が届いたり、ブランクを経て復帰されたりと、この場を離れても先生のもとで空手をした日々が心のどこかにしっかりあることを感じます。 愛されている道場で稽古できることを幸せに思います。
 黒帯の先輩方、適切なアドバイスや居残り練習など、惜しみなく助けてくださりありがとうございました。移動基本ではいつも後ろ姿を見ながら稽古をしていました。 私もこれからはそれを自覚しないと、と思います。道場のみなさん、幼稚園児からシニア世代の方まで、同じ目標を持つ仲間が大勢できて嬉しいです。皆さんの頑張りに 私も頑張ろうと思わされます。いつもありがとうございます。
勤務先の職場の皆さん、稽古の日には「今日空手だよね」と声をかけてくれます。気持ちよく 稽古に行くことができるのは皆さんの理解があってのことと感謝しています。そしてひっそりと見守り続けてくれる友達と家族、昇級のたびに喜び、応援してくれました。 いつもどうもありがとう。
皆さま、これからもどうぞよろしくお願い致します。

萩原 三恵子  黒帯への道

  2009.2.5  日本空手協会下北沢支部入会

8.7.6級 2009.4/25 23回   3ヶ月  
5級 2009.8/29 46回   7ヶ月  
4級 2009.12/19 40回   11ヶ月  
3級 2010.4/24 35回   1年3ヶ月  
2級 2010.8/28 43回   1年7ヶ月  
仮1級 2010.12/18 31回   1年11ヶ月  
1級 2011.4/23 33回   2年3ヶ月  
初段 2011.8/28 47回 計298回 2年7ヶ月

初段会得 …… 塩谷 健(6年)

 ぼくは2年生の6月に空手を始めました。最初の頃は、稽古の休憩中に、変な事をしてふざけていた事がありました。 その頃には黒帯は夢のまた夢で稽古をしていても取れないと思ってました。
 しかし、4年生の茶帯の時、ぼくは内山先輩によく「こんなんじゃ黒帯取れないぞ」 と言われていたので、黒帯をもうすぐ取れるのかと思い、本気で練習しようと思いました。 そして黒帯を手に入れるため昇段試験を受けました。
 試験では、道場の人たちが応援に来てくれたので、良かったです。 基本、形、組手の順にやっていきました。緊張していた基本は、とちゅうで、こけてしまうというハプニングがありました。 でも、それから緊張がどんどんとれて、組手では全力を出し切る事ができました。
 終わってから、次の稽古の時、結果が発表されて、ハプニングがあったから受からないと思っていたけど、何とか受かる事ができたのでよかったです。
これからもぼくは、つづけていきたいです。ありがとうございました。

塩谷 健  黒帯への道

  2007.6.18  日本空手協会下北沢支部入会 (2年生)

9.8級 2007.12/15 67回   6ヶ月 2年生
7級 2008.4/26 41回   10ヶ月 3年生
6級 2008.8/30 45回   1年2ヶ月  
5級 2008.12/13 36回   1年6ヶ月  
4級 2009.4/25 43回   1年10ヶ月 4年生
仮3級 2009.8/29 34回   2年2ヶ月  
3級 2009.12/19 33回   2年6ヶ月  
仮2級 2010.4/24 35回   2年10ヶ月 5年生
2級 2010.8/28 31回   3年2ヶ月  
仮1級 2010.12/18 26回   3年6ヶ月  
1級 2011.4/23 27回   3年10ヶ月 6年生
初段 2011.8/28 28回 計446回 4年2ヶ月

初段に合格して …… 染矢 美恵子 (48歳 会社員)

 下北沢支部の皆様はご存知のとおり、私は横幅が大きいです。でも数年前に比べるとだいぶ縮んだんです。当時、それ以前の私を知る人からは「しばらく見ないうちに、 なんと大きくなって?!」と散々言われてたんです。
 病気で手術をした後みるみる成長した私に、夫はジムやら水泳やらに行くことをすすめました。でもダイエットだけを目的に1人で黙々とやるのはどうしても長続き しません。ある日「もし、お前が3ヶ月間空手を続けたら、俺がレオタード着てエアロビ踊ってやる」と言いだしました。その頃、私たちは米国ヴァージニア州に 住んでいて、格闘好きの夫は、古きよき日本の精神論を尊ぶイラン人の先生のもとで空手を習い始めたところでした。空手は板を割るイメージしかなかった私は 「手~痛いよな~」と思いつつも、3ヶ月後の怖いものみたさ(?)に、最初の一歩を踏み出してしまったのです。
 2007年に帰国した頃には、夫より私の方が道場探しに真剣になっていました。最初に見学に行った自宅に近い別流派の道場では「好きに練習してください」と言われ、 何か違うなあと感じました。そして、次に体験稽古に伺ったのが下北沢支部でした。「整列!」「静坐!」「黙想!」「礼!」この空気だ~。そして日本で初めてみた (というよりも、基本を大事になさる阿部先生の道場の)「型」の美しいこと。その日のうちに永年会員となることを決めました。
 最初のうちは他から来たのだからしかたないと思っていたのですが、だんだんと壁を感じ始めました。自分では指示のとおりに身体を動かしているつもり…直したつもり…。 でも、うまくいってないのです。そして、それが自分ではわかってないのです。「変な癖つけると後で直らないよ」先輩からアドバイスされても、どこがどういけないのかも よくわかりません。そして紫帯を過ぎた頃から、独りよがりのもがきが始まりました。試験を受けても半分しか級があがらない。なんで?…すでに先輩方の「黒帯への道」を 眺め「回数たくさんきたら1つ上がるのかなぁ」と勝手に思いこみ、その後は回数増やすために、持ち帰れる仕事はとにかく持ち帰り…練習に間に合いそうな可能性が ちょっとでもあるときは、外出先にも出張先にも常に道着を持ち歩いて…。取引先から「いつも書類をそんなに持ち歩いて熱心ですねぇ」?!…しかし、結果は、 やっぱり半分しか上がらない。
 ある日、内山さんから「頭で考えてやれ」と言われました。内心、頭で思っていても無理、体動かない…。でも、実はここに大きな勘違いがありました。
 子供は無意識に真似をするうちにできてきます。歳をとり、しかも身体が固いとなると、頭で考えたとおりには身体が動きません。しかし、考えてやらないと 出来るようになりません。頭で思っていてもできないからこそ、どういう意味があるのか、どうすれば出来るようになるのか、考えながら、意識をしながらやることが 大切だとやっとわかってきました。そして出来るようにならなければ昇級はできないのです。行って練習して出来るようになりたい…回数のために行かなきゃいけないという 呪縛はとれ、むしろ身体が動かなくなることが不安になり、行かなきゃいけないと感じるようになりました。
 1回に半分ずつの亀さん昇級ですが、2010年の夏にとうとう1級に合格しました。
 さて、1級になってもいつ段審査を受けられるのかわかりません。先輩方からも早くて1年後じゃないかと言われました。そうだなあ…道場で一番下手くそだしなあ…。 みんなに先越されちゃうのかぁと思うと、全くがっかりしなかったといえば嘘になりますが、出来るようにならなければ、先を越されるどころか永久に黒帯を取れない かもしれない、審査のことは考えずに改善できるところから少しずつやっていくことにしました。内山さんをはじめ先輩方が稽古の後も熱心に 練習を見てくださいました。
 ところが12月審査が近づいた頃、組手の相手を替えるときに、阿部先生が「受験者同士じゃ…」とおっしゃいました。「え~っ!?。私のこと?」心の準備が なかったので、しばらくソワソワし、審査の週に先生に恐る恐る伺ってみたところ「予行練習のつもりで受けたら」とおっしゃいました。
 夫は絶対にやめろといいました。もちろん自分でも道場の恥となるようなことはしては絶対してはいけないと思いました。ただ、一方で、何かチャレンジしたい気持ち がありました。
 不景気の今、自分の能力だけではうまくいかない理不尽なこともたくさんありますが、空手の審査は自分のレベルが基準に達したか否かで純粋に評価されます。 モヤモヤとした毎日での中で、純粋にチャレンジする、もしレベルが足りなければ次に向かって純粋に努力する、そんな実感を持てる何かが欲しい気持ちがありました。 また、長年やろうと思いながら年齢や景気のせいにして先延ばししていることが私にはいくつかあります。それらを突破する何かきっかけが欲しい気持ちもありました。
 そう思いつつも審査当日の朝まで、どうしようかぐずぐずしていました。このような私にもかかわらず、先輩方、道場の皆さんが、前日も遅くまで練習に 付き合ってくださり、応援に来てくださり、またメールをくださいました。
 審査会場で阿部先生に「やってみたいと思います」とお伝えしました。この後におよんで急に上手にはなれません。先生、先輩方に注意していただいたこと、 アドバイスしていただいたことだけは、とにかく意識して気をつけようと思いました。
 最初は「組手」でした。先に一本取られたので、何とか取ろうと手ばかり前にでてしまいます。体全体で入っていく、これからの大きな課題を感じましたが 「組手」が最初だったのは気持ちを高めるのによかったと思います。次の「基本」は、組手で組んだ方が指を脱臼し棄権、あっという間に自分の番となったこともあり、 あがる暇もありませんでした。課題だった呼吸も幾分体力がついてきたせいか、また受験者3人が一緒に行う状況のせいか、息切れすることなく最後までやりきることが できました。最後は「型」でした。途中で「あ~っ。軸がちょっとずれた!」とか、意識している自分がわかったので、出来はともかくとして、あがらずにできたと 思います。できることはすべてやったので、今回だめでも次回はと、気持ちよく思えることができました。
 翌月曜日、先生から受験者2名合格とのお知らせをいただきました。
嬉しさは一瞬、すぐに緊張がやってきました。私は、やっとスタートに立った、まだまだ、これから頑張るという意味での初段取得です。まだまだ学ばなければならないこと がたくさんあります。それを自覚し、意識し練習に励みたいと思います。
 アラフォーで空手を始め、今はすでにアラフィフです。アラカンになっても、その先もずっと続けたいと思える道に入門し、本当によかったと思っています。 その意味では夫には感謝しています(まだ見ていないレオタード姿の約束は忘れていませんが)。
仕事や日常生活でモヤモヤしている特に中高年の皆さん、目標を持って出来るようになる楽しさを共有しませんか。阿部先生が、丁寧に、厳しく、根気強く 指導してくださいます。親身になってアドバイスしてくださる先輩方、一緒に喜ぶ空手メイトが待ってますよ。

染矢 美恵子  黒帯への道

2005.9/13 米国ブァ-ジニア州でイラン人の空手道場に入門.1年半で5級となる

  2007.5/12  日本空手協会下北沢支部入会   44歳

6級 2007.8/25 24回   1年11ヶ月  
5級 2007.12/15 21回 計45回 2年2ヶ月
仮4級 2008.4.26 22回 計67回 2年7ヶ月
4級 2008.8.30 36回 計103回 2年11ヶ月
仮3級 2008.12.13 29回 計132回 3年3ヶ月
3級 2009.4.25 26回 計158回 3年7ヶ月
仮2級 2009.8.29 36回 計194回 3年11ヶ月
2級 200912.19 24.5回 計218.5回 4年3ヶ月
仮1級 2010.4.24 27回 計245.5回 4年7ヶ月
1級 2010.8.28 30回 計275.5回 4年11ヶ月
初段 2010.12.5 29.5回 総計305回 5年2ヶ月

初段合格の日を迎えて …… 渡邊 由貴 (33歳 会社員)

阿部先生の道場に入門
 他流派にて段位も修得し、指導もしていた私ですが、自分が理想に思う「空手道」をより極めて行く為には、環境を変える必要があると日々悩んでいました。

 そんな時に観たのが、2007年10月に公開された、日本空手協会師範 中達也先生 主演の映画『黒帯』です。中達也先生の舞台挨拶の時の明快さ、銀幕を通じてもわかる、 基本の技の冴えに魅了されました。

 幸運にも、映画を見た数日後、公開記念のイベントとして開催された「沖縄空手ワークショップ」に参加する機会を得ました。これは、同じく主演された 国際明武館剛柔流 師範の八木明人先生が、普段は沖縄でしか見ることのできない、沖縄空手を紹介する、というものでした。

 イベント自体、とても楽しかったのですが、貴重だったのは、会場で中達也先生のお弟子さんの一人にお会いできたことです。この方から、日本空手協会について 伺うことができ、自分が長年学んできた流派とも近いことから、とても興味がわきました。

 もしかしたら、私が求めている「空手道」に会えるかもしれない、という期待でいろいろと検索したところ、皆さんが今ご覧のとおりのホームページ上の阿部先生の紹介と、 段位合格者の紹介文を拝見して、すぐに阿部先生に連絡をとりました。

 阿部先生は快く一度稽古を試しに体験するようにとの返事を頂けたのですが、なんせ他流派の黒帯をしめて、他の道場生に交じって練習する、というのは、 なんだか敵地に乗り込むような気がして、ものすごく緊張しました。緊張のあまり、意味もなく、阿部先生の道場のまわりの道をぐるぐると5回ぐらい行ったりきたりして、 さんざんためらった挙句、道場の扉を開きました。

 阿部先生の指導に感銘し、入門を決意しました。

(阿部先生は、上記の中達也先生の先輩にあたる方です。あの映画で観た基本の技の冴えの原点はここにあると感じました。)

白帯からの再スタート
 が、覚悟をしていたとはいえ、白帯からの再スタートというシステムには結構ショックでした。昇級審査が3か月後にあり、そこで茶帯まで昇格したとはいえ、再び 「段」を修得するまでの道のりが遥か遠くに思えて、やや心が折れました。

未曾有のけが
 焦りもあったのでしょう。自分の不注意(コンディション不足)から、足に致命的な負傷をしてしまいました。空手自体を諦めなければならない事態にまで陥るかと 思われましたが、治療とリハビリを根気良く1年間ほど続けたところ、今年の夏ごろから練習に再び参加することができるようになりました。ただ、型においても、 組手の動きなどにおいても、怪我の再発を防ぐためには、今までのスタイルを全て変えなくてはならなくなり、かなりの創意工夫が必要となりました。

迎えた日本空手協会 初段合格の日
 それから4か月後、晴れて初段合格の日を迎えました。
阿部先生の道場に入門してから、満足に練習できたのは、この日まで おそらく1年未満だったと思います。時間の拘束がきつい職種に就いているため、それも、週一回、 週末の練習に参加するのが精一杯でした。

 「空手道とは、有形無形の試練を乗り越え、練磨の汗の中から、人格完成を目指す武道である」という有名な言葉を改めて実感しました。

 阿部先生にお会いして、自分の目指している空手道に少し近づけたような気がします。

 何よりも、段位審査の日に、日曜日の早朝、(しかもそれぞれ家から審査会場まで片道2時間ぐらいの道のり)であるのにもかかわらず、応援に駆けつけてくれた 下北沢支部の皆さんに感激しました。

 ガチガチに緊張している私に、「ワタナベさん、これ皆から!」といって差し出されたのが、スポーツ飲料のペットボトル。私が普段の練習で大量に水分を消費することを 知っているのでしょう。良く見ているものです。おかげで審査も無事乗り越えることができました。

 同じ道を志す、こんな素敵な仲間に出会えたことこそ私が得た「黒帯」なのだと思います。

追記:
(あくまで私の研究の紹介ということで、ご参考までに書いてみました)

空手の歴史にふれる旅
 下記、余談ですが:
 「沖縄空手ワークショップ」に参加したことをきっかけに、国際明武館剛柔流の八木明人先生、その師であり父親でもある八木明達先生に沖縄にお会いしに行き、 稽古を何度かつけていただく機会に恵まれました。

 初めて沖縄から本土へ空手を伝えた、船越義珍先生によって、「空手」と改名される前は、沖縄(琉球)では「唐手」(中国から伝わった武術と琉球独自の武術 「手」(ティー)との融合の意味)とよばれていたわけですが、その「唐手」を知る上での貴重な経験となりました。

 沖縄の読谷村というところで、稽古の後に、バスを待っていたのですが、亜熱帯特有のねっとりとした空気、澄み渡った空に浮かぶ月、サンゴ礁の海から時折吹く風が まわりのサトウキビ畑を波のように揺らしていたのですが、この楽園の雰囲気とはうらはらに、複雑な歴史に彩られ理不尽な体制への護身術として発達し、脈々と子孫に 伝えられた空手が海を渡り、様々に形を変え、現代の私にも受け継がれている不思議さをかみしめました。

 稽古においては、本土ではあまり見かけることの無い、「約束組手」と「型」を合わせたような、1人を中心に、他4人が、東西南北に囲み、型の攻防の演武を行う、 という練習を体験させて頂きました。5人全員のタイミングが合っていないとうまくいかないという緊迫感・臨場感があり、非常に楽しかったです。東京から遠く遠く 離れた地・昨日まで会ったことのない人とでも「空手」という共通用語で瞬時に通じ合うことのできるのが、空手の魅力のひとつなのでしょう。

 稽古の後の沖縄特産オリオンビールも最高でした。

渡邊 由貴  黒帯への道

  2008.1/9  日本空手協会下北沢支部入会
  (それ以前は、川崎市の松涛館道場2002.5月入会.2007.9月初段取得)

8級~仮1級 2008.4/26 15回      
1級 2009.8/29 38回      
初段 2009.12/6 11回 計64回 下北沢支部に移籍してから2年

弐段を取得して …… 青柳 琢 (38歳 会社員)

 初段を取得してから約4年3ヶ月。意外と長いようであっと間の年月でしたが、その間には仕事で思うように練習に参加出来ない時期もあり、思うような進歩が 感じられない苦しい時期もあり、それでも空手練習を継続することで少しづつでも日々の練習で積み重ねてきたものが、弐段合格として形になったことは、 やはり嬉しく、また感慨深いものがありました。

 ここまでこれたのも、阿部先生のご指導と、内山さんをはじめとする緒先輩方や同じ黒帯の皆さんとの組み手の練習。更には道場の皆さんの頑張りが励みとなって 練習を続けられたお陰です。

 これからは、阿部先生や諸先輩方から学んだことを、後輩の皆さんに対して自分からも積極的にアドバイスを行いうことや、自分のことを振り返りつつ、 少しでも手本となるような基本や形をするように心掛け、道場の皆さんと一緒にレベルアップできるようにしていけたらと思います。

 また、個人的には、今回も審査の内容に関して思うように出来なかった点を今後の課題として、これからも現状に満足せずに出来るだけ稽古に参加して、 より上を目指して頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願い致します。

青柳 琢  弐段への道

  2000.7/1  日本空手協会下北沢支部入会

仮7級 2000.12/16 36回   6ヶ月  
仮6級 2001.4/21 15回 計51回 9.5ヶ月  
5級 2001.12/12 23回 計74回 1年6ヶ月
4級 2002.2/13 27.5回 計101回 2年1ヶ月
仮3級 2002.12/14 22回 計123回 2年6ヶ月
3級 2003.4/12 14回 計137回 2年10ヶ月
2級 2003.12/20 42回 計179回 3年6ヶ月
1級 2005.4/23 23.5回 計202.5回 4年10ヶ月
初段 2005.8/28 29.5回 計232回 5年2ヶ月
二段 2009.12/6 287.5回   初段より4年3ヶ月

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